自分の決め事の一つに、「自分で決めたことは、途中で投げ出さない」ということがある。
子供のころは、すぐに諦める性格だった
子供の頃は、嫌になったらすぐに諦める性格だった。習い事は続かないし、塾に行っても合わないと思ったらすぐにやめる。親の期待をことごとく裏切っていたと思うw。ピアノ、習字、プール、英会話…何一つ身になっていない。
少しでも嫌だと思うことがあったら、何でもすぐにやめていた。ピアノは先生がヒステリックで怖かったし毎日の練習が嫌だった。習字は毎週土曜に4時間も5時間も正座して字を書いているのが嫌だった。プールは場所が遠かったし、そもそもスポーツというものにあまり興味がなかったので行くのが嫌だった。英会話は上級生に交じってやっていたので、分からなかったり変な発音をして上級生から笑われたりするのが嫌だった。塾は、そもそも学校で勉強しているのに、通う意味が分からなくなって嫌だった。
習字とピアノ以外は、自分でやってみたいと言って習わせて貰ったのに、少し嫌なことがあるとすぐにやめていた。親は基本的には個人の考えを尊重する主義なので、「やめたいならやめればいい」という感じだった。ただ、子供心に親に残念な気持ちが漂っていることは感じていたw。
すぐにやめてしまっていた理由を考えた。ひとつは、自分が本当に手に入れたいと思ったものではなかったこと。なんとなく周りのみんながやっているから、とか、ちょっと面白そうだからやってみよう、とか、そこに自分の強い意志はないから、ちょっと嫌なことがあったら「やーめたっ!」という感じで諦めていたんだと思う。
もう一つは、続けた先に見える世界を知らなかったから。何でも諦めずに努力を続けた先には、やり始める前には分からなかった世界を知ることが出来ると思う。嫌なことから逃げてばかりいたから、何かを続けて努力して結果を出すことの意味を知ることが出来なかった。成功体験が無いことが理由だった気がする。
成功体験を経て性格が変わった
そんなヘナチョコな子供時代を過ごしたけど、社会に出て色々な価値観を持った人と嫌がおうにも接したり、仕事を通して小さくても成功体験を積み重ねていくことで、それまでの自分とは変わった自分になった。
本当に手に入れたいものは、絶対に手に入れたいし、手に入れるまでには苦労も厭わないと思うようになった。渦中にいる時は「もう耐えられない」と思うけど、過ぎてしまえば大したことじゃなかったことが多い。そして大変なことを乗り越えた時には必ず成長している自分がいる。繰り返しそういった経験をしてきた事で、苦労してでも何かを成し遂げる大切さが分かってきた。
自分で言い出したのにすぐにやめてしまうのは、自分の中にずっと汚点として残りそうで後悔しそうだし、凄くダサいことだと思うようになった。それに”口だけの人間”は、人からの信頼を得ることが出来ないと思うので、そういう人間にはなりたくないと思った。
自分本位だった性格が、周りの方への感謝の気持ちを持てるようになれた。自分がこうしていられるのは自分だけの力じゃなく、周りの人の支えがあってからこそだと思うようになれて、そういった自分を支えてくれる人を失望させたくないという気持ちを持つようになった。
前の会社の同僚に「人は実現しない夢はみないよ」と言われたことを、ふと思い出すことがある。確かに、叶わない夢を見ることはないと思う。成りたい姿をイメージ出来たら、あとは努力次第で夢は叶えることが出来る。本当に欲しいものなら、決めたら前に進んで手にするだけ。諦めたらそこで終わりなので、ちょっとやそっとでは絶対に諦めない。
そんなことを思ったり実感するようになって、自分で決めたことを、ちょっとしたことで途中で投げ出すようなことは無くなった。