自分は友達と呼べる人は少ない方だと思う。しかし皆友達って何人くらいいるもんなんだろう。調べてみら平均10人とか27人とか、公表しているサイトによって随分違ったけど、調査対象やそもそも友達の定義づけが曖昧だから、公表されている一般的な数字にはあんまり意味ないか。
ところで、自分を取り巻く人たちには、家族とは別に「親友」「友達」「知り合い(※)」がいる。自分の中では、親友は”give&give”の関係、友達は楽しい時間を共有する関係、知り合いは情報共有するだけの関係、だと大きくは位置付けている。
※ここでいう知り合いは、友達に友達として紹介された人等のプライベートで知り合った人。会社の同僚とか上司とかは除く。
親友の定義
親友 < 友達 < 知り合いの順に数は増えていくけど、親友と友達の間だったり友達と知り合いの間だったりする人もいるので、きっちり分けられる訳ではない。あえて分ける必要もないのだけど、じゃぁ自分は親友と呼べる人は何人いるのだろうか?と考えてみた。
自分の中での親友の定義は、先に述べたように”give&give”=無償の愛を注げるかどうか。変な意味じゃなくて。ヨコシマな気持ちなく、その人のために自然と何かが出来るかがポイントのような気がする。じゃぁ何でそういう気持ちになれるかということを掘り下げて考えてみた。
信頼している
一番に思いついたのは、その人を信頼しているから。信頼”関係”というお互いがお互いを信頼している相互関係ではなく、自分が一方的に信頼している場合も含む。
信頼しているから心を許して何でも話せたり、自分の弱みを見せたりすることができる。信頼しているから多少我儘言ったり、相手にとってキツいと思う一言も言える。信頼していなかったら、本心を話すことはないし、悩みごとがあったり意見を聴いたりしたいと思っても話すことはないだろう。信頼している人が発する言葉には力があって、自分にプラスになる良い影響を貰っている。もしかしたら、それに呼応するように自分も何か相手にgiveしなきゃと無意識的に思っているのかもしれない。
ここでいう信頼は、全幅の信頼。”こういったところでは信用できるけど、ここは信用できないな”という人には全幅の信頼を寄せることは出来ないので、親友にはなれないと思う。全幅の信頼を寄せることは出来ないけど、おおかたの信頼を寄せることの出来るのが友達。信頼していない/信頼できないのは、ただの知り合い。
波長が合う
二つ目は、波長が合うこと。自分と性格や価値観が全く違っていても、何故か波長が合う人がいる。
恐らくだけど、話が合う等の1点のみではなくて、言語情報・聴覚情報・視覚情報のトータルで気が合う/合わないをお互い判断してしているんだと思う。なので、2人でいて話が盛り上がらずに沈黙する時間が長くても気まずくなることはないし、言語情報だけからでなくその人が発する全ての情報からその人の気持ちが分かるから、多くを語らずともいお互いにとって居心地の良い空間を作ることが出来る。波長が合って相手のことが分かると、相手が喜ぶことも分かるので、自然と何か喜ぶことをgiveしたくなる。
波長が合うことは”友達の定義”にも当てはまるようにも思える。親友と違うのは、友達は”一緒に居て楽しい”とか”会話が合う”とかポジティブ要素のところだけ波長が合う人が多い気がする。なので、友達は”楽しい時間を共有する関係”だと位置づける。波長が合わないのは、ただの知り合い。
喜びを心から共有できる
3つ目はこれ。その人の幸せを心から共有できるかどうかは、親友も友達も同じ。でも知り合いは違う。
知り合いの幸せを妬んだり羨んだりすることはさすがにないけど、反対に一緒に喜ぶこともない。「へーそうなんやー、おめでとうー(淡々)。」という感じ。親友や友達の幸せの場合だと、「そうなん(*‘∀‘)!おめでとう(*^^*)!自分のことのように嬉しいわ(*´▽`*)」となる。
これを顕著に感じるのは、例えば結婚の報告があって、結婚式に呼ばれた時に素直に自分がどう思ったかを考えた時。親友や友達の場合は、「おめでとー!!式絶対行くし楽しみ!」と思うけど、知り合いの場合は(なんか面倒臭いな…)と思ってしまう。呼んでくれているのにそんなこと思うなんて自分のクズなところの一つだと思うけどw。
あとは転職に成功したり試験に合格したり等等、その人にとってプラスの人生を送れるようなことが起こった時に、素直にどう思うかで、親友/友達と知り合いとの違いが出る。無条件に幸せを共有できることは、報酬を求めない無償の愛に繋がっている気がする。
辛い時・しんどい時に助けになりたいと思う
最後はこれ。相手が辛い時に頼りになる存在になりたいと思うか、しんどい時に自然と助けたいと思えるかどうかは、親友かどうかの大きなポイント。
相手が本当に困った時に悩みを共有したり、解決策を見出したり、助け舟を出したりすることは、自分にも負担がかかる。でも親友の場合は、それを負担と思わずに、何とかそれを乗り越えられるように一緒に前へ進めるように考えたいと自然に頭も体も動く。
友達がしんどい時も、もちろん力になりたいと思う。でも、友達の場合は、自分から積極的なアクションをすることは少ない。何かを相談されたら相談には乗るし、何かして欲しいと頼まれて自分が出来ることならするけど、おせっかい的に動くことはない。親友の場合は、大きなお世話だと思われてもいいから、どんな小さなことでも自分が動くことで良い方向に進むならやりたいと思う。知り合いの場合には何もしない(というか、そもそも悩みを共有するような関係ではない)。
以上が、自分が思う親友の定義。
…と、ここまで書いておいて、じゃぁ今いる友達が親友なのか友達なのかと定義する必要も意味も無いし、定義することは友達を選別するようで気持ち悪いのでしないのだけどwww。でも一つ確かなことは、自分には親友や友達は少ないということ笑。
追記:カズコの意見
自分の考えで親友とか友達とかの定義を書いてみたけど、山田孝之似のタカユキとビジンのカズコの思う親友とか友達とかってどんな人だろうと知りたくなってLINEで聞いてみたw。
何でも話せるだけが友達って訳でもないし、会う頻度が多いから親友って訳でもないのかな。気づけばお互いのことを考えているみたいなー。
友達も親友も数が多ければ良い訳ではないです。極端な話、本人が平気なら別にいなくたって全然良いと思います。人付き合いが苦手で友人はそんなにいないですが、孤独じゃなくて、孤高なんだと思っています(笑)
わたしは親友どころか、友達すらそんな多くないので、参考にならないですね(笑)すみません。
カズコ・・・こんな戯言にも真摯に返してくれるなんて(涙)。確かに友達とか親友とかって、別にその人のことを友達とか親友とか意識せずに自然に関係性を築けて、気が付いたら仲良くなっているとか、そばにいる気がする。前提として、お互いのことを大事に思っていたり、ふと考えていたりするのも確かにそう。孤独ではなくて孤高というのも名言だな。
しかしカズコはいつも友達が少ないって言うけど、ホンマかなと思っているw。そばにいたら友達になりたいとみんなが思うと思うのだけど。
追記:タカユキの意見
僕も親友は居てないですね(T_T)
中学校や高校の時は親友って思ってたけど、
何かあった時に自発的に助けてあげよう!
タカユキ・・・「昨日から書いては消して書いては消して」って、そんなに真剣に考えてくれたなんて。。。唐突に「親友ってどんな人?」なんてメンドくさそうな投げかけされたら、「スルーしよう」って思ってもおかしくないのに。こういった事に真面目に向き合って答えてくれるところが何事にも真摯な対応をするタカユキの人柄が出ているよね。
自分がタカユキとカズコのことを好きな理由はたくさんあるのだけど、今改めて思った好きなポイントの一つは、色々なモノゴトに対して真摯な対応をするところ。話をしっかり聞いてくれるのもそうだし、投げかけたことに対して聴き流さずに真剣に答えてくれるところもそう。人間のベースが紳士的な人って、本人は意識せずともちょっとした言動や振る舞いに出るよね。
確かにその年代年代で親友と思っていた人が違っていたりする。学生時代に親友だと思っていた人でも、大人になってみると付き合いがなくなったり。年を重ねるごとにお互いの環境や考えは変わるから、お互いが変わっていきつつも、ずっと親友や友達でいられることって、結構な奇跡なんじゃないかと思う。
自発的に助けてあげよう!とか、空気のような存在って、もしかして親友って夫婦の関係にも似てるのかな?と思って聞いてみた。
たまに台風になりますけど(笑)