日常・グルメ・旅行

帰省

9月の3連休に長崎に帰省した。

9/14 大阪→佐世保

9/14は金曜日。17時過ぎまで仕事して、一旦帰宅して新大阪駅へ。今回は新幹線での帰省。

2か月くらい前に関空からピーチで行く飛行機を予約していたのだけど、台風で関空が被害を受けたので、急遽新幹線で帰ることにした。出発日には飛行機は普通に運行されていたようだけど、連絡橋はシャトルバスしか通れない状態。

母が「飛行機の機体も台風の被害を受けてるはず。こんな時に飛行機には乗りたくない。」と言い張るので、新幹線で帰省することにした。飛行機のキャンセル代は返ってこない涙笑。

19:48新大阪駅発の新幹線に乗って、途中博多駅で特急みどりに乗り換えて、目的地の佐世保駅に着いたのは24時過ぎ。駅からタクシーに乗って伯母の家に着いたのは24:30。そこから雑談して26時に就寝。

新幹線の中では、矢部太郎の『大家さんと僕』を読んだ。世間の評判通り、読んでほっこりした。ずっと2人がこのままの関係でいられたらいいなぁと思っていたのだけど、その後に大家さんは先日亡くなったことを知った。妙に切ない。

伯母が家についた時にビールとおつまみを出してくれた。おつまみは、ハムの上にスライスしたゆで卵を乗せて、その上にチーズをかけてオーブンで焼いただけのシンプルなものだったのだけど、それがめちゃ美味しかった。簡単だし、今度うちでもやってみよ。

9/15 見舞いとハウステンボス

午前に母方の祖母の見舞いに行った。紆余曲折あって、祖母は今、施設に入っている。

もともと祖母は長崎の離れ小島で一人暮らしをしていた。でも高齢のため体も頭も弱ってきて、一人で暮らすのが難しくなって、佐世保の叔母の家で暮らすようになった。それまで何十年と島で自由に暮らしていた祖母。もともとは仲良かった親子でも、一つ屋根の下で暮らし始めると色々と摩擦が起こる。歯車がどんどんと狂い始め、お互いもう一緒に暮らすことは難しいという結論になり、祖母は施設に入ることになった。(…と要約して書くと面倒見きれなくなった祖母を伯母が追い出したようにも読めるけど、現実はそうではなくて、お互いに納得した上での前向きな施設への入居。)

祖母の見舞いは、今回の帰省の目的の一つ。先日、施設に入っていた父方の祖母を亡くしたのだけど、施設に入ってから祖母に会うことは一度もなく死んでしまって、お葬式にも行けなかった。”遠い、忙しい”等と理由をつけて会いにいかなかったことを、今さらながらに後悔をしている。そんなこともあって、母方の祖母には会える時になるべく会うようにしていこうと思っている。

施設はとても綺麗で職員さんも感じの良い方ばかりだった。祖母が「今が一番幸せ」と言っていたのを聞いて本当にホッとした。「施設」という言葉には、これまでネガティブなイメージを抱いていたのだけど、高齢者が過ごしやすいように整えられた環境で過ごすことが出来る施設は、一人で暮らすことが難しくなった祖母のような人にとって、生活するのに最適な場所なのかもしれないと思うようになった。

施設訪問を終えて、叔母の家に帰ったら、3人姉弟の真ん中の従姉妹の旦那と子供が遊びに来ていた。従兄弟の旦那は絵に描いたような良い人なので、ここでも『大家さんと僕』を読んだ時のようなほっこり感を味わう。家にいても特にすることも無かったので、夕方から母とハウステンボスへ行った。

ハウステンボスがイルミネーションやプロジェクションマッピングに力を入れ始めてから初めての訪園。宝塚の公演があったり、ダンスイベントや海外アーティストのライブがあったりと、期待していた以上に面白かった。プロジェクションマッピングの大画面でインベーダーゲームをしている人達がいた。めっちゃやりたかったけど、全く興味の無い母の手前、それは断念w。

叔母の家に戻ったのは午後10時過ぎ。そこから晩ご飯をたらふく食べた。長崎に滞在中に確実に数キロは太った。

9/15 空き家と墓参り

この日は朝5時に起きて、祖母の住んでいた島へ渡る。叔母の家から船着き場まで車で約1時間。そこから船に乗って50分でようやく島へ到着。

電気も水道も止まった祖母の家。ずっと締め切っていた家は空気が淀んでいる。誰も住むことの無くなった家の庭には草が生え放題。木の枝は伸び放題で、今にも隣の家の敷地に倒れそう。空き家になった家の管理が出来ないから役場に引き取って貰おうと交渉してみたけど、引き取ってはくれなかったみたい。役場も管理が出来ないし、税収入も無くなるしね。今の日本における深刻な空き家問題を身近に感じた。

祖父の墓参りをした後、祖母が檀家になっているお寺へお参り。お布施をして、祖母が守ってくれていた先祖代々の仏壇にお供え。近くの高台でお昼ご飯を食べて、また船に乗って帰路へ。

佐世保に帰ってきた後に、また祖母の施設へ訪問。昨日、祖母が塗り絵がしたいと言っていたので、大人の塗り絵本と色鉛筆を買って行った。それを渡したら「嬉しか~」と言って、塗り絵と色鉛筆を抱きしめていた。明日から塗り絵が出来るから起きるのが楽しみと言っていたので、渡して良かったw。毎日何かちょっとでも能動的に活動出来ることがあったらいいなぁと思いつつ、施設を後にした。

叔母の家に戻ると、一番上の従姉妹家族が来ていた。子供は思春期真っ只中の中3と小6と小5。普段、この年代の子達と触れ合うことがないので、何を話していいか分からない。話かけても「あぁ」とか「うん」で終わる…。気まずいけど、これも親戚集まりアルアルだね~w。

9/16 帰阪

この日は敬老の日。朝にまた祖母の施設に行って、お花(造花)を渡して、しばらく話して帰ってきた。飛行機や新幹線で1日かからずに行ける距離ではあるけど、大阪から長崎へはそう頻繁には帰れない。次はいつ来れるだろう?次来た時も祖母は元気で暮らしているだろうか?。そんな思いを持ちつつ、新幹線で帰阪した。

新幹線に乗っている時に、ふと過去のことを思い出した。大学を卒業して就職のために東京で6年程勤めていたのだけど、東京で暮らし始めて5年くらい経った時に、「自分にとって大事なことってなんだろう」と考えた。

一つは親。東京で離れて暮らしていると、長期休みの時くらいしか大阪には帰れない。そうすると、これから親に会えるのは年に多くても数回。もし親に何かあっても、すぐに駆けつけることが出来ないかもしれない。それだけが理由じゃないけど、「このまま東京で暮らすことが果たして正解なのだろうか?」という思いが大きくなって、大阪へ帰ることにした。

思い立ったらすぐ行動なので、すぐに会社に大阪支店への転勤願いを出したw。そんな一個人の我儘で転勤が通るはずも無いのだけど、その時の上司がとても尊敬できる人で、色々と取り計らってくれて大阪に居場所を作ってくれた。会社は辞めてしまったけど、その時の上司には今でも感謝している。

そんなこともあって、今は親のそばで暮らしているのだけど、普段会える距離にいると、親がいることが当たり前になって、日常生活の中では親への感謝の気持ちが薄れている気がする。「親孝行したいと思った時には親はいない」と聞くので、そうならないようにしないとなーと改めて思った。

・・・と言いつつ、、、

この旅の帰りに父親に対して、しょーもないことでちょっとイラっとした笑。

今回は母と2人で帰省したので、父は家でお留守番。「19時くらいに駅につく」とメールで連絡したら、「了解」とだけ帰ってきた。疲れてるやろし荷物もあるやろから駅まで車で迎えにいくわ、とはならんねんな。ほんま気がきかん。

「博多で明太子買ったから夜食べよう」と連絡したのに、何故かごはんにかけるオクラとたまごを混ぜたものを用意して、それを食べていた。意味わからんw。

人がご飯を食べている途中で、まだお皿におかずが残っているのに、「もう食べ終わったか?」と言って、人が食べている途中に皿を片付けようとする。意味分からんww。

期待するからガッカリもするし腹も立つんだと思って、以前から父には何も期待しないようにしているのだけど、やっぱりイラッとすることがあるw。ついさっき、親孝行しようと思ったとこだけど、なかなか難しい…笑。